先生から電話があってパスポートを作っとけなど。
もう逃げられないね。
昼過ぎからウエイトに。
72,5をしたが、上のほうで。
胸までは65くらい…?
3月家計簿作る。
https://docs.google.com/spreadsheet/ccc?key=0AgTfuESUkoMZdHdJQmk5RTFCX2hJZGZRRTZGaUNEdGc#gid=0
2月とは違って、先に予算を出しておいた。
それに合わせていければと思う。
食費は1日1500円に抑える。
一週間で10500(3月は46500)
今週は700円オーバー まあいいほうか…?
ところで今月自由に使えるお金が3466円しかない。
(つうか借金もあるから…)
どうやりくりするか。
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水曜書いていた「母さんがどんなに僕を嫌いでも」読んだ。
いちおうフィードバック。
前半からなみだ目は、まあそうだろうとは思っていたが、後半に入り、見開くごとにフラッシュバック。
だが、最後になるにつれて「この人はこの人だな」と思って、まあ。
最後は「いい話」だったからだ。
僕はどうなるのか。
母親のことは、憎い部分はある。
しかし、それは、表面化してきたのは、これまでの人生の半ばより後になってのことで、それまでは、愛憎の「愛」の部分だけがことさらに出ていた。
どちらも、正しいのだと思うよ。
憎みきらなければ、愛しきらなければ、赦しの地平などへはない。
それが、「正しい」のか、ゴールなのかも知らないけれど。
思ったのは、前半の「僕は戦うんだ(自分の成育から身についてしまったネガティブ、コンプレックスから)」という部分。
チャレンジ。
そうだよね、どんなことも、「これは自分は不幸…(変わりたい!)」と思うなら、「戦おう!」と決心する動きがあって、はじめて、何かのスタートラインには立てる。
本当に変わりたいか?
変わりたいと思うまで、来たか?
戦って、傷つくかもしれないけど、それでも、変わりたいか?
やはりそういうとこは一番いいなと思う。
愛されたい。
だけど、それをもういない人に求めるのではなく、もう一度!(今度は愛そう)の前にあるとするなら…
そうでない世界に対して、まず挑戦してみるのも先かもしれない。
試合には、段階があるけど。
試合それ自体、こわいかもしれないけれど。
変わりたい。
幸せになりたい。
自分だって…!
この人生のフィールド、舞台に立ちたい!と思うならば…
挑戦して、「戦って」、恥をかいたって、いいのかもしれないよね。
歌川たいじさん、ありがとうございました。
http://www.youtube.com/watch?v=2rzYAQvopU4 (PV)
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