2010年ころ潰したシゴトノアトリエ再生に向けて模索します
・社会に役立つ 自営業づくり
・脱根性&脱孤独の 体力づくり
・小さくても同じ目標に向かえる 伴走者づくり
の三本柱です
2016年9月22日木曜日
「誇れる仕事」と「人としてのベースの人間関係」の両輪
近年メンタル系ばかりでなく日本人全般が対人恐怖気味で、一人で生きていってもそれでも仕方ない、それでいい、という空気のようなものが広がってると思う。
けれど、一人で生きていくことは破綻する。
何より精神的に生きていこうとする気力の上で。
ここ数年、田舎に隠居やBライフ(小屋)的なものが人間関係をとるのに苦手な層の一部で憧れられているが、否定する気は毛頭ないが、おそらく10年続かない。
小屋系だとトップランナーが出てきてまだ5年かそこらだとは思うが、彼らがあと5年たった時同じ気持ちでいられるか微妙だと思う。
個人での小屋、田舎ミニマムは転地療法にはなっても、持続に疑問が残る。
脱力系は90年代からダメ連とかがあって2000年代に入ってギークハウスなど分化したが、彼らでさえ寄り集まって擬似家族を試行錯誤していた。
イケハヤ氏は続くだろう、家族移住だからだ。
山奥ニート氏たちでさえ当初から集団生活をしている。
家族と断して10年、突っ張って女関係もほぼ硬派()で通して格闘技をし自営でやってきた自分は少なくともそうだ。
パートナー、家族的な関係というかベースを作らないと、人生が持続可能にならず破綻する。
仕事にしても実は、ブラックとかは二の次というかほぼ擬似問題なのだ。
仕事のきつさや人間関係、時間拘束や給料以前に、実は「自分自身に誇れるか」「誰のために必要とされているか」という働き方自体が問われるのだ。
自分自身や愛する人に誇れない、納得しない、どうでもいい人の得のために働くことは、結局持続可能にならないのだ。
それと関連するが、さまざまな社会起業を見てきたが、その中には障害者の授産施設や最低賃金を上げる、または自立できるくらい稼がせるというのがある。
過渡期だから全く否定するつもりはないが、2点、自分的には致命的なことがある。
それは、一つはそこに通う障害者たちの多くがベースサポーターである家族とともに暮らしていること。
たとえば劣悪な家庭環境他事情で完全に家を出て暮らしたい障害者はどうなるのか。
結局その賃金や環境では「完全家出状態」ができるものは限られる。
もう一つは、これは自分が取材不足なので言葉半分に書いておくが
最低賃金の稼げる授産施設となっても、質の高いスイーツ作りや茶店で働いても、そもそもそれは「個々人の人生」にとって自分にしかできない生きがいある働き方なのかということだ。
もっともこれは少数派かもだが少なくとも自分は感じる。
結局、家族と断した以降のこの孤独の10年間で思うことは
自分にとっては、自分が納得して自分自身の思いと社会の幸せとの両方にしっかりコミットできる仕事と
こっちはおざなりにしまくってきたが、仕事の外の人としての自分を支える、孤独な趣味ではない確かな人間関係が
両輪として必要だろうということだ。
おそらくこれは両輪で、両方がまわっていけば人生もまわってゆくが どちらかではおそらくきびしいものがあるのだ。
ともすれば自分のように燃え尽き?たり
一方でゆるやかな共依存化していったり。
そんなことが、現状だし、課題かもしれないとふと思った。
2016年8月29日月曜日
ケンカしないさせない社会が発達や精神障害を増やした
某所でツイキャスをやっている
昨夜ゲストの方二人に得意なこと苦手なことを聞いていたのだが
どちらもが自分が空気が読めない人間関係からのことだった
自分が集中していることやもの以外に興味を持ちにくいので結果的に場に合わせられなくなりアウトな発言などをしてしまう
その疎外じたいや、結局いづらくなるつらさで関係が苦手化し一人を選んでゆくと
しかし、それはこちら側だけの問題だろうか
読めない空気、場あたりができないだけで居場所を失うなら、それは本当に合わせられないほうだけが悪いのか
そうではないだろう、たとえだれ何かに不適切なことをしてしまっても
それはお互いに話しあって真意ややり方を調整していくものだ
それができないからビビりまくって、壊さないように腰が引け、薄いコミュニケーションの中「本当の関係」ではなく「うまくやる関係」だけがあちこちにはびこってゆく
それはお互いの問題だ
本音の言えない関係性の連続は、精神を壊す
おそらく取り替えのきくうすい人間関係だけがはびこって、たとえばそれはブラック企業などにも影響する
試行錯誤のできない関係性から撤退した者を、おそらくはひきこもりと呼び、増える発達障害と呼び、その先鞭をつけた精神・適応障害などと呼ばれる
おそらくは脳器質の特性もある
けれど特性があるとアウトな関係性しかないのが今の日本の社会、というか空気・世間なのだと思う
この問題は重く、広すぎるので結論は書かない
けれどこれだけは言えると思う
私たちではない、社会が変わったのだ
2016年3月15日火曜日
利益の上げかた
シゴトノアトリエ再生にあたって、ビジネスモデルというか、利益を上げる所はだいたいの目安で考えている
大きなものは
「敵側」から、ニーズをくみサービスとしてお金を受け取っていくことだ。
敵とは、加害者側
薬処方側のクリニックであったり
ひきこもりの親側であったり
見ようともしない世間の人でもある
一番憎くて、見向きもしたくない、と考える人たちから、彼らの「あったらいいな、こうだったらいいな」と、自分らのミッションに兼ね備えた所を(出来る所から)、営業していく。
それは、前から言ってるクリニックデイケアへの出張であったり、親の会への親自身たちへの格闘技グループであったり、また一般ランナーや彼らをターゲットとする企業への1for1普及というようなものだ
敵と組み、互いに無ければ困るというか、よりよくなる仕組みを提供していく
一番、ネックになって、しかしおそらく原動力になるであろうのが
自分の「敵を殺したい気持ち」だ
どうして彼らにとって役立つことなどしなければいけないのか
そんなくらいなら、自爆してしまえばいいのではないか!?
だからひきこもったんだろう
経済的な繋がりが紛争を解決する
いつも何度でも
昨日、某創業支援の相談に行った。
もう書くのも嫌だが、スケジューリングのできなさと自分の締切りの守れなさに対する個別支援のことについてだ。
もちろんこの手の一般創業は絶対にこのテの相談には杓子定規で無理だろうと思ったが、藁にもというかんじで行った。
ちなみにこの数日前に障害者就労支援センターに断られている。
で、当然のことだが、事業計画や入居の相談はやっていても、スケジューリングに関するものはやっていないと明言された。
そんなことは知っている。
ニートやヒキが個別支援しないと就労も自営もうまくいかないのは周知だろうが、公的にはどう考えているのか聞いた。
で、彼らに対する特別な対策は民間以外、おそらくどこの自治体もやっていないだろうと答えられた。
そんなことも知っている。
民間、というのも某育てあげとかそういう例を出されるから…もう書くのもうんざりだ。
将来的にしようとしているのか、とも聞いた。
個人個人の深刻度がわからない限り、個別は無理だろうとのことだった。
そして、病児保育のように、この問題はニッチで、民間がやりはじめるしかないだろうと。
知りきっていることだ。
ようするに、永久に、一つも、この個別支援は行われないのだ。
自分に関しては、バイトをしながら少しづつ進めろと。
そうすれば計画性もつくと。
人を分散させて相談やパートナーを作れと。
これは支援の範疇ではないと。
「ひきこもり」に底つきはない。
彼らをひきこもりたらしめるイネイブラーの存在がいるからだ。
だが、同じように貧困にも底つきはない。
自立しない生活保護に依存するか、ODなど自分の意思も緩慢にした自殺というイネイブル(状況依存)な現実が延々とあるからだ。
ようするに自分や自分たちには何もない。
すべて自己責任の荒野で、「そうではない」といってもイネイブルな制度頼りか、それらか死にいきつくまでの延々とした現実逃避しか残されていないのだ。
助ける現実はない。
他人の価値観や都合に管理される働き方で身体をこわし耐えられず病んだ。
あそこに帰るくらいなら…
そして何もないのなら…
自分は、かつて喪って(続いている)きた仲間たちと、同じ道を歩もうとしている。
ようするに、自分が彼らになるだろうということだ。
支援はない、何もない、存在しない、絶対にだ。
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