2015年7月11日土曜日

「敵」だったNPO・支援団体たちに声をかけること/声かけ団体リスト募集

自分たちの都合ばかり考えていて(やりやすいやり方、無意識に低い自己評価を同じように押し付けていること…)、ようするに自分たちが生きることしか考えていない人たち

それだけならまだいい、それを自覚しているのかしていないのか、
「自分らしく生きていい」「休みやすみいっていい」と言いながら、目標が「社会復帰」、「既存の企業へ合わせること」
という矛盾・ダブルバインドを押し付けてくる(これは親子間では虐待・社会ではパワハラに近いです)
支援団体たち

これは僕が長年敵として憎んで蛇蝎のように避けてきたものでした
パネルボード蹴り倒して出てったこともある
何度もケンカした

けれど「敵」に胸襟を開かなければ、打開も動かないこともある
なぜなら、このままでは問題解決をする社会が変わらないからだ

LGBT波及や障害者の政界進出、けれどメンヘラニートヒキコモリ、ようするに社会不適合界隈はここ15年、まったくと言っていいほど何も変わっていない
まったく同じ支援モデル(若者自立塾時代から、または投薬主義&3分診療の精神科から)が本流を続けている
そして人が死ぬ
自分も孤立に追い込まれてゆく

孤立しないために、人が死なないために「敵」に胸元を開き、無意識の刃で切り裂かれること前提に、時には教育し、彼らとも一緒に生きていかなければならないのだ

6月にアエラにひきこもり当事者動きの記事を載せた
自分にとっては今さらだったり(その中の一つは3年前から企画を出し続けている)、正直ヌルいというか現実的には意味無い活動だったりだ
だが、それらとも自分は「友だち」になろうと思う
できる範囲の距離、間合いから

こちら(バリバリの当事者)はウェルカムさ!いつでも来いよ、友だちになろう

これは数年前に書いた「カラフルカフェ」という、LGBT当事者たちが、カムアウトしながら2丁目でもなく海の家で、フツーのノンケたち相手に開放、運営しようとするカフェのこころみを書いていて思ったことだ



というわけで、1for1をやる場合は、都内近郊の、今まで自分が毛嫌いしていた支援界隈にも声をかけようと思う
一緒に運営やりませんか?と
東京じゅうのヒキが皇居で走ったら素敵と思いませんか?(もちろんあなた方も一緒に)

断られても
「いいですねー チラシなどあったら置きますよ(うちはそんな人手も労力もかけたくないし、もしうちの当事者たちが行くことになっても、我々運営側はもちろん走りませんが)
と言われても



というわけで、吐き気がするほど「体制側」のあいつらもあいつらも、ニコニコ笑顔で誘いに行こうと思う

■育てあげネット
■アンガージュマン横須賀
■K2
■シェアスルココロ(名前忘れた/元支援者のギター弾ける人が立ち上げたとこ)
■アイエスエフネット
■necco
■(なんか大田区の施設長の髪の毛が赤かったり緑だったりの人のとこ)
■シルバーリボン
■むらさきロード(だっけ?メンヘラパレードの所)
■不登校新聞
■レンタルおねえさんの所(ニュースタート?)

・運営は一緒にやらないだろうけど、広報や当事者たちに周知してほしい所
■各地ダルク
■NABA

コヨーテやイイトコサガシなど小規模というか、代表がほぼ一人で回してるような所は除いてます、とりあえず(大変だろうので)

ぱっと今思いつくだけなので、他にもクソあると思います
追加情報を募集します

この中で1つや2つ(50声かけて)、本当に一緒にやるとなったら上出来だと思う
けれど、とりあえずやろうと思います

声かけ企画書は自分が作り、連絡とか手伝ってもらおうかなあ~(考え中)

とりあえず、メモ!
でもリスト情報募集はします

このブログのコメント欄や、
https://twitter.com/sigolier
までリプをください



2015年6月22日月曜日

暴力を使うのは暴力から守るため

生きてりゃいいとか言うならよ、困って、病んで、死にたい、死しか生の先に見えないようなやつらをよ
もっとなんでかまいにいかないんだよ!!!
金だってよ、本当に死にそうなら、ゴダゴダ言わずに、ドンドン置いていけばいいだろ
口だけ分だけでよ、生きてりゃいいとかよ、ダブルバインドなんだよ!!!
本音で語ればいいだろ、結局は邪魔せずに「死んでいなければいい」んだろ
そんなNPOも活動も、実際無いし作ろうともしないのが証拠だろ
グチグチ国やら社会やら「強者」やらに文句言い続けて、結局はこちらの「死んでないためにはいずるだけ」のやつらと同じだろ
同じなら同じと、無理なら無理と言えばいいだろ
うぜーんだよ!!!
自分が口だけ同情共感当事者のくせに、実際は「当人にだけ任せ、がんばってほしい」というのはダブルバインドで暴力なんだよ!!!
矛盾の口だけなら、関わるだけヤクザやブラック、DV、支配のがまだマシなんだよ!!!
あんたらはいらねえんだよ、害なんだよ、あんたらが暴力を使うなら、こっちも排除すんだよ
ナメてんじゃねーぞ!!
バカにしてんじゃねーぞ!!!!
バカ野郎!!!!!
そうじゃねえってんならかかってこいや、相手してやるよ
素手でな!!!

僕はこのまま行きます
キツい道を行きます

2015年6月16日火曜日

幻視痛/地獄の寄り添い方

http://lalitpur.jp/
今の自分に示唆的なことを思い出させる夢を見たので書いておく

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夢の中で、なぜか家族4人で東欧(らしき所)を旅行していた
雪が降っているような気候の中だった 
正確には家族4人だけではなく、軍隊のような中にいたし、自分の馬が何か病気のようなものになってそっちのほうが全然大事とかそういうバックボーンみたいのもあるのだが、ここでは置いておく

自分は少し少年に戻っていて、ある床屋が素敵なので髪を切りたいみたいことになった
軍隊から離れ家族4人でその中に入り、自分は髪を切ってもらう
家族はその床屋の人と一緒にご飯を作ったり食べたりして待っている

その国は差別か何かが行われていて、床屋(少し老いたFtMの人)は外国人か何かで、実は家を建てて暮らしてはいけなくて、髪を切っている間どんどん家の壁が撤去され、髪を切り終わるころには完全に野外になってしまっている

けれどその床屋の人は切り終わった後も自国料理を作ってくれふるまってくれ、おみやげも持たせてくれる

母親が少しその国の言語ができたので、聞いてもらう、これから、今夜どうするのかと
「野宿だね」とその人は言う
そんなことはさせられないので、自分たちのホテルに来てほしいと思ったが、そんなほどこしを受ける人ではないし、一晩泊めただけで境遇が変わらないのはわかっている

どうしようもなく、家族はおみやげをもって帰ろうとする、自分は離れたくないでいる
自分の病気の馬とかぶっているのかもしれない

「どうしよう」と迷い続け、夢と現の境になる

家族からは離れる
「自分も野宿します、連れていってください、せめてこの一晩だけでも」
と言う

彼女(?)がどう答えたか…

もう完全に現に入っていて、答えはわからなかった
自分がどうしたかも
ただ起きた時泣いていた

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この夢自体はどうでもいいと言ってもいい
所詮夢だし、自分は人の夢を読むのが全く無意味だと思って、今まで読んだことはほとんど無い

ただあることを思い出した

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あるIというフリーライターがいた

自分は高校を卒業し、大学には進むつもりはほぼ無かったが、モラトリアムのまま浪人名目でいた

大学に進むつもりがなかったのは、また別のフリーライターの生き方?にあこがれていたり、高校の時に大学にもぐったり、年上のつながりが何人もできていて、「自分は学ぶより、ただ人とつながりたいのだろうし、行ってチャラすより自活して世の中を下から見る大人になりたい」と思っていたからだった
援交している女子高生や女子大生らとも知りあい、彼女らが大人びていて、大学行ってる場合でもないと思ったからでもあった

話がズレた

Iはフリーライターではあったが、著書は一冊だけで、元AV女優で、それも「処女をAVで散らす」というさきがけのような人で、ほぼ企画の人だった(いちおうタイトルはいくつかあったが)
会ったころはほぼ撤退していて、ライターであり、自殺未遂常習者で、そういう「自殺って本当に悪いことなの?」的イベントを数ヶ月に一度トークライブハウスなどで開いていた
客はいつも少なかった

自分は結構毎回行って話したり、会ってお茶したり、取材を受けたりもした
取材を受けていたころは、Iも金がなく、新宿の神社の境内で話を聞いていたりした
「本にするんだ」と言っていたが、結局本にはならなかった

Iは会うたびに容姿が崩れていった
最初はまだ普通の派遣OLさん的な様相だったが、次第に痩せ、髪の毛がざんばらになり、服も気を使わなくなり、最後に会ったころは髪の毛は自分でバリカンで切ったようなまばらな坊主だった(ところどころ毛が残っていた)
一緒にいても、周囲はまともな人とは思わないんだろうなーと思っていた
実際、薬で健忘などが起きていて「一度聞いたことや話したことをまた聞いたり言ってしまうかもしれないけどごめんね」と言っていて、実際そうだった

自分は、彼女のイベントにはじめて言った時、彼女は自分の生い立ちや現在自殺未遂常習していることを具体的にスライドつきで話したりしていたのだが、自分には結構ショックだった
 「どうしてこういうことまできてしまうのか」と
だいたい自傷行為のように入ったAVも何の癒しにもなっていなく、あげく今の状態でためらい傷やオーバードーズ、首絞めの常習の毎日だった

自分もたいがい情緒不安定でまともに定まっていなかったのだが、やりきれない思いにとらわれ、また「彼女の気持ちにも少しはなれるか、近づけるかな」と思い、帰宅し脚をカッターで切った
すげえ痛かった
血が出たし
何度か浅く切ってみたが、それで少しだけ彼女の近くにいるにふさわしい人にもなれたような気も軽くしていた
共依存性だったのだと思う

それからは坂を転がり落ちるように自分も自傷にはまっていくが、切る時はいつも「なんでこういう世の中になるんだ(彼女らを自殺未遂させるような)」というようなことを念頭に切っていた
自分のことで切ったことってあっただろうか
もちろん、今になってはそれは「自分に向き合えない」自分の理由づけの自傷行為だった部分は大きいとは思うが

結論を言うと、彼女はオーバードーズしたまま風呂に入り、そのまま溺死した
自殺と扱ったか、事故と扱ったか、自分はいまだによくわからない(今に至るまで調べていないというのもある)(死んだことに変わりないのでどうでもいいとも言えるが)
というのも、通夜葬式に行けなかったからだ

その晩(か夕方)、自分の携帯に着信があり、自分はオーバードーズか自傷していて自室にひきこもっており、電話を取りたくもなかった
だが多分、彼女が死んだことを知らせる電話だったと思う
相変わらず自分はそんなに交際範囲は広くはなかったし
ネットでその晩通夜があって、翌日葬式があったのを知った

その後「Iはなぜ死んだのか」的な書籍が出て、自分も周囲の人としてインタを受けるオファーがきたが、色々と死んだ彼女との仁義にもとるような気がして断った
奇しくもその著者は前に書いた「自分があこがれていた」フリーライターだった(※違った インタを受けた一人だった)

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http://shokay.jp/

何を思い出したかというと、…

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自分には共依存性があり、その人を知りたいと(もしかするとそれを理由に)そこまで落ちていく、つきあうような部分がある

今の状況も、その(無意識でも)成れの果てかもしれないとも思うのだ

そこまで落ちなければ、人はわからない
同じ境遇に行かなければ、痛みを知ることもできない
共感する資格なんてない
ただ友だちがほしかっただけかもしれないけれど…
(もしかすると自分よりも”弱い”?)

だが、親を切り、貧困に陥り…
そこまで落ちた人間の境遇、気持ちは、やはりそこまでいった人間でないとわからないのだ
そのために自分は無理な自活をし、引っ張ってきた部分はある

彼女の他にも、何人も友だちは死んだ
ほとんどは彼女のような事故で、もしくは自殺で(だがその自殺も、衝動的なものや、薬の作用によるものだとして、どうして”事故”でないと言える?)

彼女たちは皆家庭に問題を抱え、時には子どもも持ち、だが一人で生きていかざるをえなく(精神的にも)、孤独の果てに陥り、もはや男とのつながりも信じられない者もいたり、そうして薬や自殺未遂行為につかの間の「生きる癒し」を求め、はまり
そして死んでいった

今になって思う
彼女たちの年齢を追い越して思う
彼女たちがいたのは
「この孤独」の中なのだと

自分はそのために降りてきた
お前たちは一人ではない
一人だけれども、自分もまた一人同じ境遇に来た
それは、妄想だけれども

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夢の人に、何と答えただろうか
「あなたは、たとえ一晩過ごしても、私とともに生きることはできない、それは自己満足に過ぎないから、ホテルへ帰りなさい」
と言われただろう
それでも、自分は食いついて、自分の身に着けているものを差し出してでも「これを授業料にするから、あなたの国の一晩の野宿の仕方を教えてくれ」と言ったかもしれない
それでも断られたら、ついていっただろう
完全な自己満足の偽依存のために

だが、本当は帰るべきなのだった
その国へもう一度、今度は、本当にともに暮らすために
そして、より良い未来をともに作り戦うために
一晩過ごしたところで、何もわからない
自分の肌身の寒さだけだ
そして、自国へ帰り…
そこで覚悟と準備をして、「生きるために」戻ってくるべきなのだった、その国へ、共に生きられる、戦える、仕組みを持って

そうなんだ、ここから、生きるんだ
たとえその人は今は死んでしまったとしても、あなたの生きる、生きた国へ、戻って、自分も共に、そして!堕ちるだけではなく、這い上がって、未来をつくろう
あなたのような人と、あなたの妹のような人や、下の世代の人、生き残っている人たちと
そうでなければ、(あなたが、そして自分の)悲しみを感じた意味がないだろう

自分には先駆者たちもいる
そうさ、海外や別の地に行って、現実を目の当たりにして、結局はその国の人たちとビジネスを作り上げていきてゆく、社会起業家の女性たちが

http://www.mother-house.jp/

2015年3月25日水曜日

社協とのその後(おば文など)

3月に、北区社協と共催で「おばあちゃん文化祭(仮)」をやる予定でしたが、3月が来てしまったのでここに書いておきます。

もともと、社協とは去年の春ころ、自分が自分をマネジメントできず、貧困に陥っているため(今も状況はまったく変わっていませんが)、数ある「伴走/無業者 支援」と名打つ所に相談しにいったのがはじまりでした。
自分のスケジュールを共有してくれないかと。

これは他の団体でも頼んだことですが、おそらく「個人のスケジュール」に対して、おそらく相手は関心を持たなかったのだろうと今となっては思います。
なぜなら、どこも「自分たちができる支援」をこちらに合わせようとすることを崩そうとしなかったからです。

無料の所を選んでいったので(東京しごとセンター 若者就職支援協会 JHC板橋 …他)そういうクオリティだったのかもしれませんが、自分の生活や、望む人生に関心を持たれないことは結構どこでもショックでした。
その中でも、社協は「地域無業者支援」に関心がある、と言い、スケジュールカレンダーにも興味を示してくれたので、かなり何度か会いました。
自分の住んでいる部屋の近くに来てくれたり、事務所も比較的近いことも大きかったかもしれません。
ただ、僕は僕の望む生き方(自営や空手など)の延長に未来を見たいのに対し、あちらは踏み込んでこない(聞くだけ)というのが随分イラついて、何度も「伴走支援とは」という話を、自分のシゴトノアトリエで昔やっていたことも含めて、なんというか、毎回「講義」していました。
こうでなければ、伴走相手は動かないよと。

ただ、社協は「組織」であって、彼女たちもサラリーマンなので、自営の自立に対して、おそらく社協の中にいる部分からしか関わりたくなかったのだと思います。
そこで、もう色んなことをして(自営志向定期で集まっての計画会や、スカイプでの伴走も含め)、頼るところがなかった自分は、彼女たちを教育というか、少しでも「一緒に」繋がれることで自分の言うことをわかってもらい、なおかつ自分の支援にもなる活動「地域の人と無業者たちの繋がりビジネス」を一緒に行おうとしました。

叩き台は、自分がそれまでに色々行っていたり、社協のほうも「得意分野」である高齢者とのつながりからでした。

そこで、無業である自分が高齢者たちから学ぶゆるいセミナー(対象は若い人たち/その逆でもいい:過去のシゴトノアトリエのような高齢者に教えるものでも)からはじめたいと思い「おばあちゃん文化祭」でした。

ただ、そこでも社協の協力できることは普通のどこの団体(というか大人)でもできることの枠をこえていませんでした。
(会場の手配や、高齢者たちに少し声をかける等)
大事なのは、ビジネス化していくことで、今までの範囲から逸脱して、新しく人に声をかけてゆくことです。
当事者(高齢者/無業ともに)への広報や、客層へのリサーチ、宣伝、これらに対する人件費の仕組み。

ボランティアでやろうとふざけたことを言うので、シゴトノアトリエ名義で行い、後援を北区につけることで進めようともしましたが、それでは変わらず僕だけが動くことになります。

何をやりたかったかというと、僕(無業)の孤独解消と、ビジネス(収益)化のが、徹底的に必要なのだと、彼女たちに企画を通してわかってもらうこと、そして(社協自身も望んでいた)無業者たちへの支援アプローチを実際化することで、僕自身の支援になるだろうということです。

ただ、途中でいつものように生活費(電気、家賃等)にまた詰まったり、やることが多すぎたりして滞りました。
それを連絡すると
そちらが落ち着いたら、またはじめましょう
とのことで
それは最初に僕が相談したことだろう。それが落ち着かないから、あなたたちにヘルプを求めたんだということです。

言ってることわかるでしょうか。
これが伝わらないから、いつも自分はどこの人とのすれ違うのでしょうか?

これが11月末のことで、それから「米があるから取りに来ますか?」と一報きたきり、互いに連絡はありません。

おばあちゃんの所は、今でも縫い物系の所(サークル)には時々行っていますが、自分の忙しさや精神状態、体力的にそれ以外は進んでいません。

ということで、残念ですが、少なくとも「社会福祉協議会」とは、コラボすることはありません。
給料を別のところからもらっている人と、問題を分かち合うことはできないのです。
ほんの少し、僕でもできるようなことを、振ったり、分かつことはできても。
給料をもらっているところや、ボランティアベースの所は、少なくとも無業者問題に対しては使えない偽善ということですね。

色々、去年書いたこともあり、とりあえず書かせていただきます。

先は真っ暗ですが(というか、自分が誰にもどこにももう頼りようがないので孤立が当たり前状態が続いている)とりあえず前に進みたいとは考えています。