2014年1月13日月曜日

弱みを持つ人への疎外と、自分を受け入れたくないこと

欲望や感情、期待や夢を鈍麻させて生きてきた。
そうしないと日々を進めなかったから。

この一年、弱音メールや連絡を、一切遮断して生きてきた。
たまに「弱さ」を表面に出している人と、会ったり過ごしたりしてると、(時にはわずかな時間でも)、必ず体調を崩した。
相手の「わかってほしい気持ち」を受け取ってしまった時。

(今、おばあちゃんに席を譲るよう笑顔でこっそり若いやつにうながした)

どうして、お前はそんなに弱いままさらしていられるんだ
俺には関係ない
俺は前に進まなくてはならない

感情や期待を慣れるように押し込めて、うまくいっていた自分の、膨らんでいた弱い鍵が反応し、今までの無理を取り戻していいのかと、身体に熱を送り込む。

身体すら、鈍麻させて進んできたのに。

自助グループに通っていて、試合で勝てなくなって、やめた。
その時はそれでよかった。
後ろを振り向いて、言い訳に繋げてはいけない時がある。

しかし今、人の「(その人がわかってほしい)」弱さに踏み込むと、自分のバランスが崩れる。

世界は、無理をしても進む、強いことが生き残るためのもの。
強さの伴わない弱さは、共依存の元。

今立ちどまるわけにはいかない。
しかし、自分の世界に散らばる弱さが逆に、自分の弱みになってしまうとしたら。