脱孤計画を進めていければと思う。
なぜなら、限界が来るだろうからだ。
10日ほど前、どっぷり漬かっていたニコ動実況を断ち
同時に自然と同じような作用をもたらしていたブックオフなどの古本買いも断ち
さて、とりあえずまとめブログなどネットは断ってはいないが
この空白の中に、残るのは、索漠茫々たる自分自身の空白だけだ
何もおらず、居ない
この空白を埋めようと無理に進む限り、
人に依存し
恋愛に依存し
食は止まらず
ニコ動はえんえんと検索し続け
金がつきるまで古本を買う
そんな日々と時間が続くだろう。
断ってわかる、そこには空白しかなく、空白を埋めたく、さまざまな強度(しかし正面は見据えない)で埋め続けていたのだと。
浸るように。
何もすることがない。
自分の空白だけが内部と目の前にぶらさげられそこにある。
見て重なりたくない、触れたくないから、様々な時間を浸すものに手をだしてゆく。
幻想がはびこる。
人に助けを求める その人の存在が、自分を導いてくれる、形づくってくれるかのように。
すべては「さみしさ」からなのだと思う。
何かわからないが、
さみしさが自分の中にあり、おそらく何十年も前、もの心つく前から埋め込み根を張り暗闇として侵食し、自分が自分でそこにいるだけで完成しているのだと気持ちからどんどん離れるように侵食していった
自分には
「境界線」があり
それはとても高く広く踏み越えられないくらい固く、先に何があるのか自分でもわからないくらいものもだ。
それは人と親密になろうとした時、数々の相手からも言われ、何か隠しているようだったり、開いていないようだったり、まったく別のものにとらわれているようだったり
それで関係はそこから先に進まず
自分でも殻の中に何があるのかわからない
自分では踏み越えられない。
境界線は自分では踏み越えられない。
そこに「さみしさ」があると思う。
誰かに踏み越えてきてもらおうにも
同じメンヘラや関係性づくりに問題がある人、さらには同じような属性を持っていたり、年代でさえそうだったり
時には相手からこじれ、時には自分が拒否をしたり、やがて関係性づくりに疲れ閉じこもるようになあった
再び もしくはおそらくは幾度も
だけれど、世界に入りこもうとする時、自分と相手との間に、何かを交換して進んでいかないと自分自身で受け入れられないものだ。
同じようなメンヘラじゃない
同じような環境じゃない
もう自分自身の姿を鏡で写していくようで無理だ
世界から、いやがおうにも、しかししっかりした形ある踏み越えを、してきてもらう、こさせる、予測もできないような踏み越えが起こることを、僕自身が設定し、作っていきたいしいければと思う。
自分にアクセスしてくる、まったく今までなかった違う、それでも自分の中にあるときめきや、「やりたいな」と思うことを刺激するような
出会いの仕掛けを
作って、実行して、進んでいければとも思う
先はまだ見えないので
計画を作るにも至らないこの本当に初期だけれども