2014年9月27日土曜日

私と仕事

生きたい人が、仕事をする
私は、基本的に自分の人生に肯定感はほぼ無いので、普通に仕事をしていても行きづまる時がある
「生きてゆくために仕事をする」
それは家出して10年近くたった今も、身についてはいない

ほっといては自分を「生きさせなく」する(結果的に死に近づいていってしまう)
自傷行為をやめて、もう15年以上が立つが、生き方そのものの根っこの一つは、自分をゆるやかに殺してゆく人生への肯定感の無さだ

殺さないこと、死なないこと それは自明ではない
ただ空手をはじめ「殺されないこと」だけは身についた
だから、殺されることは出来ない

生より大切なもの
それは、自分の納得(プライド)と、戦闘意欲だ
そして、自分を(精神的にも)支えてきた、少なくはない人たちの行きざまだ

それは、決して「(多くから見て)幸せ」なものではない

世界は自分やそういう人たちを除外して、動いている 存在している
だからケンカを売ってきた
「殺したい」
殺すことは、自分の中で(精神的には)リミットはかかっていないことだ

この世界に、居場所を無理やり切り裂いて作る
相手が強ければ、殺意は解放してもよいのだ

そしてかばって立ち続けたいもの
誰かのために、殺意を表出してもよい

自分の人生は空虚
価値と喜びは感じられない
それでも日にちが進めというなら
既成概念を殺して犯すような、そんな明日の無いチンピラみたいな背中を丸めて進んでいくと思う

俺は死にたいんだ
進んで進みきって、燃え尽きたその果てに


2014年9月18日木曜日

【レン空メモ】防御も攻撃もしない人

分類しにくいものをこっちにも時々入れていきます
こっちはほぼ見られないので、プライベートなことも入れるかもしれません
シゴトノアトリエブログのほうへ移動するかもしれません


最近レン空してる人で、意思が無いかのように、攻撃せず、防御もしないアル依存の人がいるわけです
ただニコニコ笑ってだらっとしているだけ
薬でそうなっちゃう人もまれにはいますが、彼は薬ではないんです
ソーシャルワーカーが連れてきたりして、なんとかやってます


多分週イチで3ヶ月くらいなんですけど、もうやっと後ろによけたり、手で払ったり、パンチとキックのコンビネーションができるようになりました 調子のいい時はですが
ソーシャルワーカーもやってもらってますが(彼も下手です)、SWはとにかくあきれたように怒鳴り気味で注意するんですね、彼も手を焼いている人がいっぱいいるのはわかるんですが
そうするとその時はちょっと動いても続かないので、とにかく出来たらほめまくりました 


最初は少し注意もしてたんですけど、この一ヶ月ほどほめたことしかしてないです
とにかく現場に来たらほめて、開脚が少しでも開いたらほめて、声を出せたらほめて、パンチに反応したらほめて、自分から休むと言えたらほめて
そうすると、だんだん基本でも、「セイヤッ!」と声が出るようになりました
けっこう大きめの声です
今日のことですが
超ほめましたけどねw


あと、彼はものすごくおおげさにこちらが例をしめしたり、組手をしてみせると、反応しやすいわけです
下段ばらいを、身体じゅうつかってものすごく払ったり
そうすると、真似しやすい、というか、自分が身体を動かして表現することにものすごくためらいがあるような人なので
「ああ、こんなへんにおおげさにしても、いいんだな」というかんじで、同じようにやってくれたりするんだと思います


ああそういえば、今日は腕立ても(ヒザをつけてですが)できるようになりましたね 20回も(10回でいいと言ったのですが)


まあそういう人も、こともあるわけで
メモです。