脱ニートって無理なんじゃないだろうか。
そう思ってきた最近。
一生、こういう「ニートっぽい」精神状態、考え方、生き方でやってくんじゃないだろうか。
脱ヒキしたと思った10年間、脱ニートしたと思った7年間、だんだん、そう思うようになってきた。
色んなことをしてきたけど、結局、自分の考え方、感じ方、幸せの形、好きなこと、嫌だと思うこと…
は、結局変わらなかった。
10年たっても、結局欝が来て「自分はこのままではいけない」と自分を責め、結局何もできない。
たぶん…
まったく違う人間、性格になるとかは、無理なのかもしれない。
「ニート」という言葉が、自分のひきこもってる間「発明」され、多くの人が、自分も含め、くくられるようになってしまった。
しかし、これは、自分の元からあるもので、「ニート」 から自分が出てきたのではなく、自分が先にあるのだ。
おそらく…ずっと変わらないだろう。
「ニート」からは。
だから脱ニートはできないと思う。
社会を変えるという言葉も、勘違いしていたかもしれない。
自分が社会を変えるのではなく
自分が生きる社会を、その足で、違う場所に移動するのだ。
自分が移動して、生きてくとこを変えるのだ。
社会は「変わら」ない。
自分が生きる場所が、トコトコと、歩いて、違う場所に行くだけ。
自分も変わらない。
行動様式だけが、ほんの少しづつ変わっていくだけなのだ。
自分も。
生き方も。
社会なんてない。
2010年ころ潰したシゴトノアトリエ再生に向けて模索します
・社会に役立つ 自営業づくり
・脱根性&脱孤独の 体力づくり
・小さくても同じ目標に向かえる 伴走者づくり
の三本柱です
2013年7月30日火曜日
ソーシャルベンチャーで塗りつぶせ
手持ち無沙汰や、考えることが嫌になると、2ちゃんまとめや、はてなブックマークなどの記事を見るクセがついていた。
そういうクソみたいな閉じた、俗な価値観が、欝な思考を増幅する。
そんなもん読んでても、もう先はない。
それに、自分の事業を進めたいのに、どうすればいいかわからない。
ネガティブな価値観は、そうでなく「変えられる」と具体的で現実な事例とやり方で、塗りつぶしてしまいたい。
洗い流してしまいたい。
ツイッターに書いたもののまとめ。
今日。(7つ)
■エコモット http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/834 北海道。
除雪道路監視システムを携帯通信モジュール使った人力化し、灯油削減へ。
→機械化されていたものを【逆に人力化】することで、コスパ高へ(→地域民の人力も借りた事業へも)
→節約の大儀があるので、営業もしやすいだろう
----
→『大義があれば、営業に後ろめたくない』
→『機械化やルーチン化されていることでの無駄や不便、不満がある。 人力化することでのニーズが出る場所がある。』
■フォーレスト八尾会 http://www.wam.go.jp/content/wamnet/pcpub/top/torikumijirei/c02_200906_01.html … 富山。
かつて八尾の名産だった桑のお菓子やクッキー、特産品を、障害者と一緒に作り販売。事業収入は年1500万以上。(3年前)
→衰退した地域も障害者も、リカバリする点では同じ。共に再生。
----
→『人も地域も、再生するには、共に力を組み合わせ、”外”に向かった、”外”も喜ぶサービスを展開』
■よろずや余之助 http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/jinsei/yaritai_090407.html … 群馬県。
定年後のシニアの生き方と、地域活性を組み合わせ、相談事業では様々なスキルを持った会員に配分する。
→余生という自助をしながら、自分たちの力をビジネスになる生きがいに還元
----
→『同じ問題を持ったネットワークが、それぞれ互いの持つ技術に関心を持ち、これも『外』に向かう』
※不足取材
■東海道・吉原宿 http://d.hatena.ne.jp/shizuoka_ccc/20090720 … 静岡。
シャッター商店街の空き店舗活用。高校生店舗(何年も)やレンタルオフィス・店舗など。
→商店街内部だけで活性化をはかるのではなく、日本全国から盛り上げに来させる。若者イベントなど
----
→『問題を逆手にとってオープンな場所とし、外部から盛り上げに来てくるな仕組み。』
→『問題当事者(商店街主)たちが個別でがんばるのではなく、商店街をチーム化してできる役割を分担』
※不足取材 抽象的
■坂ノ途中 http://greenz.jp/2013/05/13/on-the-slope/ … 京都。
新規就農し、販売経路の無い若手「無農薬野菜」農家の販路開拓。
→それぞれ自立した自営業の営業代行。
→営業だけでなく、販路(料理店等)に応じた「じゃあ何作っていくか」の一緒に計画まで。
----
→『応援したい人の、もしくは自分がしたくてできないことをする人の、足りない部分があるなら(自分が出来るなら)それを行い発展させる。そのためにビジネス化する。』
■新田むらづくり http://www.soumu.go.jp/main_content/000111360.pdf … (PDF) 鳥取。
限界集落まるごとがNPO。20戸しかない村がなくなってしまうので、農業体験プログラムや、人形浄瑠璃の文化講座、村ぐるみの宿泊サービスなど。
→同じ困難を抱える者どうし、すべてがメンバーで自立に向かう
----
→『まず自分たちが『どうしようもない問題』として共有すること。(切羽詰まってる)』
→『今すぐできること、そこにあるものから、外部に向けての事業を作り出す』
→『たまり場や講座など、自分たちが楽しいと思え、コミュニケーションできる場が中心』
※少し地味かな… 不足取材
■わははネット http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/11630.html 香川。
地方での子育て情報(病院…)があまりになく孤立しやすかったので、情報誌、登録者に必要な情報を配信する携帯電話システム、妊婦や幼児連れのケアができる子育てタクシー協会設立他。
→当事者ニーズのビジネス化
----
→『社会ニーズとは当事者だけでなく、当事者が関係する環境にもメリットがある→ビジネス化/広告掲載・携帯サービス化・WINWINの他業種とのサービス』
※ソーシャルベンチャーのお手本のような事例だな… 逆にヒントがあまりとれない…
http://www.meti.go.jp/policy/local_economy/sbcb/data55sen/p090_091.pdf … (PDF)
そういうクソみたいな閉じた、俗な価値観が、欝な思考を増幅する。
そんなもん読んでても、もう先はない。
それに、自分の事業を進めたいのに、どうすればいいかわからない。
ネガティブな価値観は、そうでなく「変えられる」と具体的で現実な事例とやり方で、塗りつぶしてしまいたい。
洗い流してしまいたい。
ツイッターに書いたもののまとめ。
今日。(7つ)
■エコモット http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/834 北海道。
除雪道路監視システムを携帯通信モジュール使った人力化し、灯油削減へ。
→機械化されていたものを【逆に人力化】することで、コスパ高へ(→地域民の人力も借りた事業へも)
→節約の大儀があるので、営業もしやすいだろう
----
→『大義があれば、営業に後ろめたくない』
→『機械化やルーチン化されていることでの無駄や不便、不満がある。 人力化することでのニーズが出る場所がある。』
■フォーレスト八尾会 http://www.wam.go.jp/content/wamnet/pcpub/top/torikumijirei/c02_200906_01.html … 富山。
かつて八尾の名産だった桑のお菓子やクッキー、特産品を、障害者と一緒に作り販売。事業収入は年1500万以上。(3年前)
→衰退した地域も障害者も、リカバリする点では同じ。共に再生。
----
→『人も地域も、再生するには、共に力を組み合わせ、”外”に向かった、”外”も喜ぶサービスを展開』
■よろずや余之助 http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/jinsei/yaritai_090407.html … 群馬県。
定年後のシニアの生き方と、地域活性を組み合わせ、相談事業では様々なスキルを持った会員に配分する。
→余生という自助をしながら、自分たちの力をビジネスになる生きがいに還元
----
→『同じ問題を持ったネットワークが、それぞれ互いの持つ技術に関心を持ち、これも『外』に向かう』
※不足取材
■東海道・吉原宿 http://d.hatena.ne.jp/shizuoka_ccc/20090720 … 静岡。
シャッター商店街の空き店舗活用。高校生店舗(何年も)やレンタルオフィス・店舗など。
→商店街内部だけで活性化をはかるのではなく、日本全国から盛り上げに来させる。若者イベントなど
----
→『問題を逆手にとってオープンな場所とし、外部から盛り上げに来てくるな仕組み。』
→『問題当事者(商店街主)たちが個別でがんばるのではなく、商店街をチーム化してできる役割を分担』
※不足取材 抽象的
■坂ノ途中 http://greenz.jp/2013/05/13/on-the-slope/ … 京都。
新規就農し、販売経路の無い若手「無農薬野菜」農家の販路開拓。
→それぞれ自立した自営業の営業代行。
→営業だけでなく、販路(料理店等)に応じた「じゃあ何作っていくか」の一緒に計画まで。
----
→『応援したい人の、もしくは自分がしたくてできないことをする人の、足りない部分があるなら(自分が出来るなら)それを行い発展させる。そのためにビジネス化する。』
■新田むらづくり http://www.soumu.go.jp/main_content/000111360.pdf … (PDF) 鳥取。
限界集落まるごとがNPO。20戸しかない村がなくなってしまうので、農業体験プログラムや、人形浄瑠璃の文化講座、村ぐるみの宿泊サービスなど。
→同じ困難を抱える者どうし、すべてがメンバーで自立に向かう
----
→『まず自分たちが『どうしようもない問題』として共有すること。(切羽詰まってる)』
→『今すぐできること、そこにあるものから、外部に向けての事業を作り出す』
→『たまり場や講座など、自分たちが楽しいと思え、コミュニケーションできる場が中心』
※少し地味かな… 不足取材
■わははネット http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/11630.html 香川。
地方での子育て情報(病院…)があまりになく孤立しやすかったので、情報誌、登録者に必要な情報を配信する携帯電話システム、妊婦や幼児連れのケアができる子育てタクシー協会設立他。
→当事者ニーズのビジネス化
----
→『社会ニーズとは当事者だけでなく、当事者が関係する環境にもメリットがある→ビジネス化/広告掲載・携帯サービス化・WINWINの他業種とのサービス』
※ソーシャルベンチャーのお手本のような事例だな… 逆にヒントがあまりとれない…
http://www.meti.go.jp/policy/local_economy/sbcb/data55sen/p090_091.pdf … (PDF)
2013年7月11日木曜日
父親の影
僕よりひとまわり若い後輩の、お父さんがなくなった。
彼は、どんな気持ちでいるだろうか。
それでも、誇りに思える父親だったなら、それは一生続く財産だったろう。
しかし、僕はどうか。
ふりかえって、もし問われたとしたら
「自分の父親は、軽蔑するくらいの人間なので、今、縁を切って、絶対に会わない状況で、このまま続けていいのです」
と、言うだろうか。
未だ。
僕の父親は、 「逃げる男」だった。
自分の母親(僕の祖母)の、いつまでも影響下におり、結局逃れられなかった。
妻(僕の母)が、同居して少しづつ病んでいったのを、知らぬようにふるまった。
自分(父)はいつも、道化のようにおどけ、責任をとることもなかった。
妻にも、子どもらにも。
彼は怒ったことがない。
おそらく、怒れなかったのだろう。
自分の母(祖母)のいうとおりに、進路を走ってきて、誰からもほめられた。
一度、すべてから逃げたことがあった。
それが、家族が崩れる最後のきっかけだった。
彼はずっと海外から帰らず、妻は衰弱し、「私を見て」というように、臓器をいくつも切り取った。
彼の母は変わらず、家主として暗い家の一階の中心にいた。
今でも、母(祖母)を引きずり続けている。
逃げて、痛みを負わない、そして価値観、選択権をいまだ母親(祖母)に取られている彼を、僕は、ずっと軽蔑してきた。
いや、変わってほしいと願った。
だが他のいくつもの機能不全家庭の親のように、彼はのらりくらりと自分が戦うことは避け、結局現場から逃げていた。
ずっと海外にいた。
女もいただろう。
あれから。
自分は、あの家を「変えよう」と願って、わずかながらも動き、それでも、また敗北した。
認めたくなくて、彼らを憎んだ。
とりわけ、ある意味自分に近い性の、父親を。
さげすみ、軽蔑した。
それは、自分の無力から目をそらすことの裏返しだったかもしれない。
今、誰かに問われ、父親とは何かと問われたら
未だ、自分は「離れている」と逃げるのだろうか。
信田さよ子先生は言った。
「親を許さなくてよい。許したものが大人になるというは詭弁。逆に親の真似たくなかった所に妥協してしまう(親の悪に迎合してしまう)。ACは一生許さなくてよい」
しかし、それは今、「弱者」の側に立った弁と自分にはふと思えることもあるのだ。
親を許さないから、生きていられる時代もある。
「許さなくてはいけない」そんな強迫が致命的となることもある。
とくに、回復期の多くのACには。
しかし、それはやはり。
一生、「彼と自分とは関係ない」「袂を分かった」と逃げ続けるのか。
そう、「逃げ」と、ふと思ってしまった。
彼を憎む限り、自分の中の、『逃げる男』 の部分を憎まなくてすむ!!!!!
ずっと一生、思って生きるのか。
「彼のようにはなりたくない」と。
すべての男を憎んで。
彼が自分とはまったく関係ないものである限り、自分は「逃げれる」。
しかし、自分の中にある闇からは、いつまでたっても逃げ切れず、逃げたつもりで、より大きく、足を引きずりこむように、口を開けている気がしてならないのだ。
彼は、どんな気持ちでいるだろうか。
それでも、誇りに思える父親だったなら、それは一生続く財産だったろう。
しかし、僕はどうか。
ふりかえって、もし問われたとしたら
「自分の父親は、軽蔑するくらいの人間なので、今、縁を切って、絶対に会わない状況で、このまま続けていいのです」
と、言うだろうか。
未だ。
僕の父親は、 「逃げる男」だった。
自分の母親(僕の祖母)の、いつまでも影響下におり、結局逃れられなかった。
妻(僕の母)が、同居して少しづつ病んでいったのを、知らぬようにふるまった。
自分(父)はいつも、道化のようにおどけ、責任をとることもなかった。
妻にも、子どもらにも。
彼は怒ったことがない。
おそらく、怒れなかったのだろう。
自分の母(祖母)のいうとおりに、進路を走ってきて、誰からもほめられた。
一度、すべてから逃げたことがあった。
それが、家族が崩れる最後のきっかけだった。
彼はずっと海外から帰らず、妻は衰弱し、「私を見て」というように、臓器をいくつも切り取った。
彼の母は変わらず、家主として暗い家の一階の中心にいた。
今でも、母(祖母)を引きずり続けている。
逃げて、痛みを負わない、そして価値観、選択権をいまだ母親(祖母)に取られている彼を、僕は、ずっと軽蔑してきた。
いや、変わってほしいと願った。
だが他のいくつもの機能不全家庭の親のように、彼はのらりくらりと自分が戦うことは避け、結局現場から逃げていた。
ずっと海外にいた。
女もいただろう。
あれから。
自分は、あの家を「変えよう」と願って、わずかながらも動き、それでも、また敗北した。
認めたくなくて、彼らを憎んだ。
とりわけ、ある意味自分に近い性の、父親を。
さげすみ、軽蔑した。
それは、自分の無力から目をそらすことの裏返しだったかもしれない。
今、誰かに問われ、父親とは何かと問われたら
未だ、自分は「離れている」と逃げるのだろうか。
信田さよ子先生は言った。
「親を許さなくてよい。許したものが大人になるというは詭弁。逆に親の真似たくなかった所に妥協してしまう(親の悪に迎合してしまう)。ACは一生許さなくてよい」
しかし、それは今、「弱者」の側に立った弁と自分にはふと思えることもあるのだ。
親を許さないから、生きていられる時代もある。
「許さなくてはいけない」そんな強迫が致命的となることもある。
とくに、回復期の多くのACには。
しかし、それはやはり。
一生、「彼と自分とは関係ない」「袂を分かった」と逃げ続けるのか。
そう、「逃げ」と、ふと思ってしまった。
彼を憎む限り、自分の中の、『逃げる男』 の部分を憎まなくてすむ!!!!!
ずっと一生、思って生きるのか。
「彼のようにはなりたくない」と。
すべての男を憎んで。
彼が自分とはまったく関係ないものである限り、自分は「逃げれる」。
しかし、自分の中にある闇からは、いつまでたっても逃げ切れず、逃げたつもりで、より大きく、足を引きずりこむように、口を開けている気がしてならないのだ。
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