2015年6月22日月曜日

暴力を使うのは暴力から守るため

生きてりゃいいとか言うならよ、困って、病んで、死にたい、死しか生の先に見えないようなやつらをよ
もっとなんでかまいにいかないんだよ!!!
金だってよ、本当に死にそうなら、ゴダゴダ言わずに、ドンドン置いていけばいいだろ
口だけ分だけでよ、生きてりゃいいとかよ、ダブルバインドなんだよ!!!
本音で語ればいいだろ、結局は邪魔せずに「死んでいなければいい」んだろ
そんなNPOも活動も、実際無いし作ろうともしないのが証拠だろ
グチグチ国やら社会やら「強者」やらに文句言い続けて、結局はこちらの「死んでないためにはいずるだけ」のやつらと同じだろ
同じなら同じと、無理なら無理と言えばいいだろ
うぜーんだよ!!!
自分が口だけ同情共感当事者のくせに、実際は「当人にだけ任せ、がんばってほしい」というのはダブルバインドで暴力なんだよ!!!
矛盾の口だけなら、関わるだけヤクザやブラック、DV、支配のがまだマシなんだよ!!!
あんたらはいらねえんだよ、害なんだよ、あんたらが暴力を使うなら、こっちも排除すんだよ
ナメてんじゃねーぞ!!
バカにしてんじゃねーぞ!!!!
バカ野郎!!!!!
そうじゃねえってんならかかってこいや、相手してやるよ
素手でな!!!

僕はこのまま行きます
キツい道を行きます

2015年6月16日火曜日

幻視痛/地獄の寄り添い方

http://lalitpur.jp/
今の自分に示唆的なことを思い出させる夢を見たので書いておく

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夢の中で、なぜか家族4人で東欧(らしき所)を旅行していた
雪が降っているような気候の中だった 
正確には家族4人だけではなく、軍隊のような中にいたし、自分の馬が何か病気のようなものになってそっちのほうが全然大事とかそういうバックボーンみたいのもあるのだが、ここでは置いておく

自分は少し少年に戻っていて、ある床屋が素敵なので髪を切りたいみたいことになった
軍隊から離れ家族4人でその中に入り、自分は髪を切ってもらう
家族はその床屋の人と一緒にご飯を作ったり食べたりして待っている

その国は差別か何かが行われていて、床屋(少し老いたFtMの人)は外国人か何かで、実は家を建てて暮らしてはいけなくて、髪を切っている間どんどん家の壁が撤去され、髪を切り終わるころには完全に野外になってしまっている

けれどその床屋の人は切り終わった後も自国料理を作ってくれふるまってくれ、おみやげも持たせてくれる

母親が少しその国の言語ができたので、聞いてもらう、これから、今夜どうするのかと
「野宿だね」とその人は言う
そんなことはさせられないので、自分たちのホテルに来てほしいと思ったが、そんなほどこしを受ける人ではないし、一晩泊めただけで境遇が変わらないのはわかっている

どうしようもなく、家族はおみやげをもって帰ろうとする、自分は離れたくないでいる
自分の病気の馬とかぶっているのかもしれない

「どうしよう」と迷い続け、夢と現の境になる

家族からは離れる
「自分も野宿します、連れていってください、せめてこの一晩だけでも」
と言う

彼女(?)がどう答えたか…

もう完全に現に入っていて、答えはわからなかった
自分がどうしたかも
ただ起きた時泣いていた

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この夢自体はどうでもいいと言ってもいい
所詮夢だし、自分は人の夢を読むのが全く無意味だと思って、今まで読んだことはほとんど無い

ただあることを思い出した

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あるIというフリーライターがいた

自分は高校を卒業し、大学には進むつもりはほぼ無かったが、モラトリアムのまま浪人名目でいた

大学に進むつもりがなかったのは、また別のフリーライターの生き方?にあこがれていたり、高校の時に大学にもぐったり、年上のつながりが何人もできていて、「自分は学ぶより、ただ人とつながりたいのだろうし、行ってチャラすより自活して世の中を下から見る大人になりたい」と思っていたからだった
援交している女子高生や女子大生らとも知りあい、彼女らが大人びていて、大学行ってる場合でもないと思ったからでもあった

話がズレた

Iはフリーライターではあったが、著書は一冊だけで、元AV女優で、それも「処女をAVで散らす」というさきがけのような人で、ほぼ企画の人だった(いちおうタイトルはいくつかあったが)
会ったころはほぼ撤退していて、ライターであり、自殺未遂常習者で、そういう「自殺って本当に悪いことなの?」的イベントを数ヶ月に一度トークライブハウスなどで開いていた
客はいつも少なかった

自分は結構毎回行って話したり、会ってお茶したり、取材を受けたりもした
取材を受けていたころは、Iも金がなく、新宿の神社の境内で話を聞いていたりした
「本にするんだ」と言っていたが、結局本にはならなかった

Iは会うたびに容姿が崩れていった
最初はまだ普通の派遣OLさん的な様相だったが、次第に痩せ、髪の毛がざんばらになり、服も気を使わなくなり、最後に会ったころは髪の毛は自分でバリカンで切ったようなまばらな坊主だった(ところどころ毛が残っていた)
一緒にいても、周囲はまともな人とは思わないんだろうなーと思っていた
実際、薬で健忘などが起きていて「一度聞いたことや話したことをまた聞いたり言ってしまうかもしれないけどごめんね」と言っていて、実際そうだった

自分は、彼女のイベントにはじめて言った時、彼女は自分の生い立ちや現在自殺未遂常習していることを具体的にスライドつきで話したりしていたのだが、自分には結構ショックだった
 「どうしてこういうことまできてしまうのか」と
だいたい自傷行為のように入ったAVも何の癒しにもなっていなく、あげく今の状態でためらい傷やオーバードーズ、首絞めの常習の毎日だった

自分もたいがい情緒不安定でまともに定まっていなかったのだが、やりきれない思いにとらわれ、また「彼女の気持ちにも少しはなれるか、近づけるかな」と思い、帰宅し脚をカッターで切った
すげえ痛かった
血が出たし
何度か浅く切ってみたが、それで少しだけ彼女の近くにいるにふさわしい人にもなれたような気も軽くしていた
共依存性だったのだと思う

それからは坂を転がり落ちるように自分も自傷にはまっていくが、切る時はいつも「なんでこういう世の中になるんだ(彼女らを自殺未遂させるような)」というようなことを念頭に切っていた
自分のことで切ったことってあっただろうか
もちろん、今になってはそれは「自分に向き合えない」自分の理由づけの自傷行為だった部分は大きいとは思うが

結論を言うと、彼女はオーバードーズしたまま風呂に入り、そのまま溺死した
自殺と扱ったか、事故と扱ったか、自分はいまだによくわからない(今に至るまで調べていないというのもある)(死んだことに変わりないのでどうでもいいとも言えるが)
というのも、通夜葬式に行けなかったからだ

その晩(か夕方)、自分の携帯に着信があり、自分はオーバードーズか自傷していて自室にひきこもっており、電話を取りたくもなかった
だが多分、彼女が死んだことを知らせる電話だったと思う
相変わらず自分はそんなに交際範囲は広くはなかったし
ネットでその晩通夜があって、翌日葬式があったのを知った

その後「Iはなぜ死んだのか」的な書籍が出て、自分も周囲の人としてインタを受けるオファーがきたが、色々と死んだ彼女との仁義にもとるような気がして断った
奇しくもその著者は前に書いた「自分があこがれていた」フリーライターだった(※違った インタを受けた一人だった)

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http://shokay.jp/

何を思い出したかというと、…

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自分には共依存性があり、その人を知りたいと(もしかするとそれを理由に)そこまで落ちていく、つきあうような部分がある

今の状況も、その(無意識でも)成れの果てかもしれないとも思うのだ

そこまで落ちなければ、人はわからない
同じ境遇に行かなければ、痛みを知ることもできない
共感する資格なんてない
ただ友だちがほしかっただけかもしれないけれど…
(もしかすると自分よりも”弱い”?)

だが、親を切り、貧困に陥り…
そこまで落ちた人間の境遇、気持ちは、やはりそこまでいった人間でないとわからないのだ
そのために自分は無理な自活をし、引っ張ってきた部分はある

彼女の他にも、何人も友だちは死んだ
ほとんどは彼女のような事故で、もしくは自殺で(だがその自殺も、衝動的なものや、薬の作用によるものだとして、どうして”事故”でないと言える?)

彼女たちは皆家庭に問題を抱え、時には子どもも持ち、だが一人で生きていかざるをえなく(精神的にも)、孤独の果てに陥り、もはや男とのつながりも信じられない者もいたり、そうして薬や自殺未遂行為につかの間の「生きる癒し」を求め、はまり
そして死んでいった

今になって思う
彼女たちの年齢を追い越して思う
彼女たちがいたのは
「この孤独」の中なのだと

自分はそのために降りてきた
お前たちは一人ではない
一人だけれども、自分もまた一人同じ境遇に来た
それは、妄想だけれども

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夢の人に、何と答えただろうか
「あなたは、たとえ一晩過ごしても、私とともに生きることはできない、それは自己満足に過ぎないから、ホテルへ帰りなさい」
と言われただろう
それでも、自分は食いついて、自分の身に着けているものを差し出してでも「これを授業料にするから、あなたの国の一晩の野宿の仕方を教えてくれ」と言ったかもしれない
それでも断られたら、ついていっただろう
完全な自己満足の偽依存のために

だが、本当は帰るべきなのだった
その国へもう一度、今度は、本当にともに暮らすために
そして、より良い未来をともに作り戦うために
一晩過ごしたところで、何もわからない
自分の肌身の寒さだけだ
そして、自国へ帰り…
そこで覚悟と準備をして、「生きるために」戻ってくるべきなのだった、その国へ、共に生きられる、戦える、仕組みを持って

そうなんだ、ここから、生きるんだ
たとえその人は今は死んでしまったとしても、あなたの生きる、生きた国へ、戻って、自分も共に、そして!堕ちるだけではなく、這い上がって、未来をつくろう
あなたのような人と、あなたの妹のような人や、下の世代の人、生き残っている人たちと
そうでなければ、(あなたが、そして自分の)悲しみを感じた意味がないだろう

自分には先駆者たちもいる
そうさ、海外や別の地に行って、現実を目の当たりにして、結局はその国の人たちとビジネスを作り上げていきてゆく、社会起業家の女性たちが

http://www.mother-house.jp/