2013年7月11日木曜日

父親の影

僕よりひとまわり若い後輩の、お父さんがなくなった。

彼は、どんな気持ちでいるだろうか。
それでも、誇りに思える父親だったなら、それは一生続く財産だったろう。

しかし、僕はどうか。
ふりかえって、もし問われたとしたら
「自分の父親は、軽蔑するくらいの人間なので、今、縁を切って、絶対に会わない状況で、このまま続けていいのです」
と、言うだろうか。
未だ。




















僕の父親は、 「逃げる男」だった。
自分の母親(僕の祖母)の、いつまでも影響下におり、結局逃れられなかった。

妻(僕の母)が、同居して少しづつ病んでいったのを、知らぬようにふるまった。
自分(父)はいつも、道化のようにおどけ、責任をとることもなかった。
妻にも、子どもらにも。

彼は怒ったことがない。
おそらく、怒れなかったのだろう。
自分の母(祖母)のいうとおりに、進路を走ってきて、誰からもほめられた。

一度、すべてから逃げたことがあった。
それが、家族が崩れる最後のきっかけだった。
彼はずっと海外から帰らず、妻は衰弱し、「私を見て」というように、臓器をいくつも切り取った。
彼の母は変わらず、家主として暗い家の一階の中心にいた。

今でも、母(祖母)を引きずり続けている。

逃げて、痛みを負わない、そして価値観、選択権をいまだ母親(祖母)に取られている彼を、僕は、ずっと軽蔑してきた。
いや、変わってほしいと願った。
だが他のいくつもの機能不全家庭の親のように、彼はのらりくらりと自分が戦うことは避け、結局現場から逃げていた。
ずっと海外にいた。
女もいただろう。

あれから。
自分は、あの家を「変えよう」と願って、わずかながらも動き、それでも、また敗北した。
認めたくなくて、彼らを憎んだ。
とりわけ、ある意味自分に近い性の、父親を。
さげすみ、軽蔑した。
それは、自分の無力から目をそらすことの裏返しだったかもしれない。


今、誰かに問われ、父親とは何かと問われたら

未だ、自分は「離れている」と逃げるのだろうか。
信田さよ子先生は言った。
「親を許さなくてよい。許したものが大人になるというは詭弁。逆に親の真似たくなかった所に妥協してしまう(親の悪に迎合してしまう)。ACは一生許さなくてよい」

しかし、それは今、「弱者」の側に立った弁と自分にはふと思えることもあるのだ。

親を許さないから、生きていられる時代もある。
「許さなくてはいけない」そんな強迫が致命的となることもある。
とくに、回復期の多くのACには。

しかし、それはやはり。

一生、「彼と自分とは関係ない」「袂を分かった」と逃げ続けるのか。
そう、「逃げ」と、ふと思ってしまった。
彼を憎む限り、自分の中の、『逃げる男』 の部分を憎まなくてすむ!!!!!

ずっと一生、思って生きるのか。
「彼のようにはなりたくない」と。
すべての男を憎んで。

彼が自分とはまったく関係ないものである限り、自分は「逃げれる」。
しかし、自分の中にある闇からは、いつまでたっても逃げ切れず、逃げたつもりで、より大きく、足を引きずりこむように、口を開けている気がしてならないのだ。




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